気ままな自由人

過去の備忘録やその時々の雑記など

ステップアップ?

ご無沙汰しております。

 

最近立て込んでいたので、更新遅くなっちゃいました。。。

 

前回、生産管理までの事、書いたかと思いますが、

その後の事、書いてみようかと思います。

 

生産管理として、デザイナー、パタンナーや縫製工場、繊維商社、生地屋、資材屋

など様々な川上のメーカさんとの取引の中で学び、

生産管理の中でもある程度の立場となり、ちょっと勘違いし始めていた頃、

子供が出来て、もっともっと仕事もプライベートも頑張ろう!

って思ってました。

そして、もっと稼ぎたいと。。。

 

いろんな人脈や情報を駆使して、可能性を探っていた頃。

あるメーカーから、新規事業としてメイドインジャパンのブランド立ち上げの

責任者としてのお話を頂き、このまま生産管理を続ける事と新たな会社で

新規事業に取り組む事のどちらが自分にとって家族にとって良いか迷い考え、

自身の今までの経験を基に二度とないかもしれないチャンスだから、

チャレンジしてみようと思い切ってその話にのってみました。

 

他社で事業部長(ブランド長)となったのです。

元々、セレクトショップのスタッフから生産管理になった時に、

会社を変わる事での難しさは経験済みで、尚且つ実績も積んでいたので、

あまり難しく考える事もなくチャレンジしたのですが。。。

 

まぁ大変ですよね。

事業部長と言っても、立ち上げまなしの為、

実質私とデザイナー、アシスタントの3名です。

しかも、他社からの移籍です。

まずは、コンセプトの設定と商品企画、販売計画、年間のスケジュールなど

ここまでは、過去に培ってきたスキルと別事業部の、

力などを借りて何とか形に持って行きました。

 

ただ、そこで決定的な躓きが。。。

私が今まで経験してきたのはBtoCいわゆる直営店の様な業態で、

BtoBなどの卸の知識がなかったのです。。。

これは致命的でした。

 

商品を企画し製造し、諸々の計画を立てたのですが、

営業する、卸すと言う事に関して無知だったのです。

勿論、卸し先などの販路も知りません。

営業もした事ありません。

最悪でした。

素人の営業ですからね。

 

自身の考えの甘さに、愕然とした日々です。

全てが進行し、予算やスケジュールのある中でサンプルが出来上がり、

卸先を見つけなければなりません。

 

とは言え、とにかく売らないといけない訳ですから、

百数十件をリストアップをし、

拙いセールストークで日々営業電話を繰り返す、

どこかで見たか聞いた様な、売れない営業マンです。

営業先リストを電話片手に公園のベンチで項垂れて。。。

 

毎日毎日、暗い顔で出社していた様です。

自覚はありませんが、自分では精一杯の笑顔で出勤しているつもりでしたから。

 

まぁ、考えが甘かったのでしょうね。

色々な事に慣れ、少しは話が聞いてもらえる様になり、

ほんの少しの可能性が見えてきた頃に、会社が見切りを付けました。

最後通達です。

勿論、なんの実績も残せませんでしたので事業自体廃止となりました。

 

その後、知人の助力もかりOEMメーカーの営業職として再起を図る事となります。

この経験は、非常に大きく今の自分にとって重要なきっかけとなりました。

 

次回は、営業職の経験を書いてみます。